2019年の夏に書いたブログの下書きがあったので公開。

 

最近思うのだが今までの自分って様々な事象に対して敏感すぎていたのかと思う。

 

いくらその事象に対して敏感に反応して自分の心と頭の中で整理しても、その事象自体は何も変わらない。ならもうもう敏感に反応しない。整理もしない。疲れるだけ。

 

いくら他人に批判されても、その他人の頭の中にいる自分が同じとは限らないし、本当に自分がその他人の中にいる自分に近づくわけでもない。だいたい他人が俺の全部を知ってるわけじゃない。自分に対する批判なんて断片的な自分を悪く言ってるだけで、自分の人間性全てや自分の歩んできた人生すべてを自分で否定することない。

 

もう何言われて深く考えない。「馬鹿」と呼ばれたならそうなのかもしれないと思う。思うだけにしとく。

 

「自分は馬鹿なのだろうか。生きてる価値がないのだろうか。どこで人生の道を踏み外したのだろうか。そもそもあの人はあんなことを言ったのだろうか。社会がゆがみ始めているからあんな人が生まれたのだろうか。」

 

そんなこと考えてもストレスで脳がオーバーヒートして自殺を考えるか、俺が神だとか言い出す。

 

もう何も考えない。色んなこと言われても即時自分の存在価値が変わるわけじゃない。言った相手の中にいる自分が本当の自分であると思ってた。だから悪く言われる度自分をずっと責め続けてた。そんなことに意味がない。いくら悪く言われても自分の価値(体力、知力、精神力)は変わらない。

 

自分の思考を現段階で可能な限りシンプルにした結果がこういう結論になった。この結論を出してから脳や精神に無駄にストレスを与えることがなくなったから生きててだいぶ楽になった。

 

でっていう。まあこのブログ読んだお前は少しでも救われたってことだ。

去年の誕生日に書いてたもの

色んな人に祝ってもらっておいて悪いんだが、酷い誕生日だった。別にもっと祝って欲しかったとかそういう話じゃない。「劣等感に苛まれた」1日であった。話を続ける。

 

今日俺は駅前のデニーズに行った。というのも俺はデニーズのランチセットでハンバーグとサラダを頼んでコーヒー飲みながら5chのまとめを見ることが幸せだからだ。駅前には日曜日の昼ということもあって沢山の人が幸せそうに歩いていた。そんな光景を見て「いい日だな」、なんて呑気なことを思いながらデニーズの扉を開け、名前を書いて席が空くのも待ち、そしてついに名前を呼ばれ席に案内されると、そこには残酷な現実を目の当たりにすることになった。

 

それは信じられない数の彼女連れの男達だった。しかも俺よりイケメンで背も高い。もう既に帰りたくて仕方がなかった。急いでランチセットをとにかく胃にぶち込んで逃げるように会計をして帰った。

 

その後夕方まで大好きなAPEXをやって負け続けた。もう限界だった。

「そうだ下北沢にいって大好きな寿司でも食べよう」

そう思った。

しかし不幸はまだ続いてしまう。

 

「またイケメンが女連れて幸せそうに歩いてるわ…」

 

俺は今日誕生日なんだよ。特別な日なんだよ。

ここにいる俺以外の男はおそらくほぼ誕生日ではないだろう。なのにあんなに幸せそうに誰かと過ごしていて。顔もカッコよくて。俺は誰かと一緒にいるわけでもなく、カッコよくもなく、ストレスで髪はボサボサで、ニキビだらけで、全身が痛い。

 

もう泣きそう。もう疲れた。

ショットガンで頭吹き飛ばしてくれ。

悲しみ

先月職場のリハビリスタッフの中からコロナ感染者が出て、そのスタッフがリハビリを担当していた患者が濃厚接触者とされた。リハビリは一時休止となり、理学療法士作業療法士言語聴覚士は出勤せず、医師、看護師と私含めた看護助手のみで業務することとなった。そして数ヶ月も前からコロナが流行っていたのにも関わらず、病院は対応マニュアルや防護服を準備しておらず、ゴム手袋のみの装備で、濃厚接触者と保健所から指定された患者の介助をすることとなり、自分も感染している可能性とクラスターになる可能性も考慮し、友人との予定を全てキャンセルさせて貰った。

 

職場はとても慌ただしくなった。リハビリスタッフのコロナ感染の報を受けた翌日の昼に、保健所から濃厚接触者とされた患者を集め隔離した(一日半経ってようやくした遅すぎるたったこれだけの対応に病棟の看護スタッフは皆流石に呆れた)。また夜勤を4人体制にしたため日勤スタッフの数が減り、看護師は普段三人でやる仕事を一人でしていた。ただでさえ10月までに多数の離職者がいたことと、さらに日勤スタッフが減ったことも現場は限界であった。(看護助手に至っては4月では6人いたはずだ9月時点で4人となってしまい、以前から夜勤の数は増え、今まで2人でやっていた仕事を1人でやらないといけなくなっているという状態だった。また看護師に仕事を手伝って貰えることも以前はあったが、度重なる看護師の離職と日勤スタッフの減少の影響で手伝って貰えることはなくなってしまった)

 

結局クラスターとはならず、病棟内でコロナに感染した者はリハビリスタッフ1名のみだった。そしてクラスターの心配がなくなったことを皮切りに、病院側は次々と空きとなっていたベッドに認知症の患者を入院させた。その時点でもう私は限界が近かった。患者から「とても真面目で親切」「あなたみたいに優しい人に看護師になってほしい」言われていた私は見る影もなく、私の祖母と年齢が変わらないような認知症の患者に対して怒鳴りつけるようになってしまった。そんな日々を毎日繰り返し仕事中ずっと自殺することを考えていた。そして家に帰り酒を浴びるように飲み、どうにか誤魔化してまた朝出勤していた。

 

しかしある日限界が来てしまった。また仕事に行けば自殺することを考えてしまうことが辛くて、もう職場に行けなくなってしまった。「行きたくない」と思うことは今まであったが、「もう行けない」となったことは初めてだった。職場に電話すると私の母と同い年で、未経験の私に仕事を1から丁寧に教えてくれた親切なベテランの看護師さんが対応してくれた。

 

私「体調が悪いので休ませてください。実は今日出勤して明日の休みに心療内科に行く予定だったのですが、もう出勤できません。」

看護師「分かりました。病院のことは心配しないで今日はゆっくり休んでください。あともう今日中に心療内科には行ったほうがいいです。お大事に」

といつもよりとても丁寧な言葉で話してくれた。電話を切ると涙が止まらなかった。

 

その後有名な心療内科のクリニックの予約を昼過ぎ取った。しかし昼前になると看護部長から直々に電話があり「なぜ心療内科に行くのか。体調が悪いなら内科に行くべきでしょう。診断が出てしまうがそれでもいいのか」と話をされた。これ以上スタッフにやめて欲しくないという看護部長の考えはバレバレだった。私は職場と自分の身体を比べるなら後者が大事なので、強気な姿勢で対応し説得した。もううんざりだった。

 

昼過ぎに心療内科に向かい、医師からされた診断は「環境の影響から生じた過度なストレスによる適応障害」というものだった。私は診断書を貰い、それを看護部長に提出した。そして1ヶ月の休職となった。

 

最近は色々あって医療福祉の業界で働くことを諦め、転職活動をしている。あとはゲームをしたり、友人と会ったり、外食をしてのんびりと過ごしている。体調はかなり良くなり、食欲旺盛で、睡眠も取れて、頭皮がとても柔らかくなったり、数ヶ月腫れていた目が治ったりといった変化が現れ、今まで異常な生活を送っていたとしみじみ思う。

 

そしてようやくこの記事の本題に入る

 

こんな約1ヶ月の日々を送りながら私には楽しみにしていたことがあった。とてもとても楽しみにしていたことがあった。それは職場でコロナの感染者が出たため延期になっていた、出会い系アプリで知り合った女の子とデートすることだった。写真からしてとても美人で、自分の好みのタイプで、LINEしている感じもとても明るくて性格が良かった。あまりにもワクワクしすぎて夜勤中に職場の先輩と恋愛の話になったとき、その女の子の顔を見せたこともあった。

 

俺「今度この子とデートするんですよ!めっちゃ可愛くないですか!?笑」

 

その女の子と今月の30日に遊ぶ予定を先月末に立てて、私は楽しみにしていた。そして昨日(24日)確認のLINEを送った

 

「30日大丈夫そう?」と

 

その後返ってきた返信にはこのようなことが書いてあった。

 

 

 

 

「あ、ごめんなさい。彼氏できました。」

 

 

 

神はこの世にいない。そう思った。

嘘だろ。もうこの世の中全てが嘘だと思った。

 

別に女の子に彼氏が出来たことは残念だが仕方がない。彼氏出来たなら連絡はしろよと思うが。俺がLINEしなかったら、当日どうするつもりだったんだろうと思った。とりあえず「じゃあね」とだけ返して、もう何もかも忘れたくてブロックをし、トークも消した。

 

こんな心も体もボロボロになるまで限界まで働いて最後がこれって。なんかどうでも良くなってきた。街を歩けばカップルが幸せそうに歩いていて、本当にこの半年自分の心身を顧みず、髪が抜けようが、顔がニキビまみれになろうが、目が数ヶ月ずっと痙攣して腫れてようが、仕事のことだけを毎日考えて必死に生きてきた結果、人として成長どころか劣化し、魅力も余裕も何もない空っぽな人格になってしまい、身嗜みも整っていない、需要のない無価値な人間に今成り果てたと思う。女性にとっても需要のある男性になる気力も演じる気力もない。ぶっちゃけ28日にも出会い系アプリで知り合った他の女の子と会う予定だが、もう会うのをやめようと思っている。振られたり連絡が取れなくなったりして、これ以上自分が無価値で需要のない人間だと知ることが辛い。とにかくもうどうでもいいって感じ。

 

もうこれ以上書くことはない。

あるとすればこの記事は別に心配されたいとか、ここまで働いたことを褒めてほしいから書いたわけではないということは分かって欲しい。この記事を書いた目的は自己満足と読んでくれた人への笑いの提供のみである。

 

辛いことばかり書いたが、家族や友人と電話したり、友人と食事をしたり、上司が会いにきてくれたりと、いいことも沢山あってそんな悪いことだらけではない。

 

ここまで読んでくれてありがとう。次書いたらまたよろしく。次は自分が最近考えてることについての記事を書く予定。2020年にハマった曲の記事も少しずつ作ってます。よかったら読んでね。おやすみ。

2019年にハマった曲

2019年にハマった曲紹介。

あまりにも有名すぎるアーティストの曲を省く。

2019年にリリースされた曲に限定しない。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com